08/03/08 11:22:30 0
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―帝京の野球部員だったころから30年。いまの高校野球の印象は。
「すごく大人に見えるね。プロ野球選手に近い感じ。投手は分担制になり、手袋やひじ当てなんかも使う。
僕らのころはなかったですから」
―帝京の思い出は。
「強くなり出したころ。2年の選抜が甲子園初出場でした。僕はそんなにうまくなかった。ポジションは
ピッチャーというか、ほとんどスタンド。応援では『神宮に石橋あり』って言われてましたから。新聞各紙の
都内版にも出ましたもん」
―試合は出てない?
「1回も出してもらってない。三塁コーチャーでした。『秘密兵器が、秘密のまま終わった』って言ってます(笑)」
「やめたいと思ったことも死ぬほどあった。僕は高1の時、毎日バッティングピッチャーだった。雨の日でも
投げていた。そしたら、2年になるころ、すごい強肩になっていた。遠投なんか、楽々100メートル。下を
向かないで顔を上げて頑張っていれば、すごいことって起きるんです」
―継続は力なり。
「そう。それに3年間やったら後の人生が違ってくる。大魔神(佐々木主浩)や清原選手が『タカさんは帝京
ですよね』って話してくれる。その瞬間に、先輩と後輩になれたりするわけですよ」
―苦しい中で、支えになったものは。
「甲子園に行きたい、という思いだけで頑張れる。2年春の選抜の時、練習でグラウンドに入ったんです。
感動したなあ。やっぱり甲子園には魔物がいるんですよ。高校球児を引きつける、何かがある場所なんです」
「後の人生でも苦しいことがあるけど、甲子園を目指して汗を流した経験が支えになる。僕もふと思いますもん。
苦しいけど、高1の夏の練習よりはいいな、ってね」
―去年は特待生制度が問題となった。
「今さら、あれを言い出したら大変。ただ、あまり県外生が多いと、地元は燃えないかもしれない。佐賀北の
ようなチームが時々ドンって現れると、『高校野球ってこうだった』と再確認できます。時代が進み、色々な部分
がいい方向に変わっていくのは素晴らしいことだけど、高校野球の根本は、いつまでも変わらないで欲しいですね」
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