08/02/24 12:34:32 0SJ+E4rj0
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渡部直己 近畿大学教授
ヤンキースとのア・リーグ優勝決定戦にマリナーズは昨年同様あっさり敗退
し、日本人ファンの興味は早くも、来月10日あたりに発表される両リーグの
MVPに、イチローが選出されるか否かに移っているようだ。現地の下馬評でも半々
ことによれば7割方の確率でイチローの当選が予想されているらしいが、
この選手はしかし、「大リーグのMVP」の名に真に値するかどうか。
たしかに、守備は文句の付けようもない。盗塁王を取った走塁も(その賭博性
の薄さ、および盗塁数じたいの物足りなさを除けば)まず合格点だろう。
だが、おそらくは選出要素の随一に数えられるはずのその打撃にかんしては、
同国人としての最低限の矜持にかけ、ここに大なる疑問符を呈しておきたい。
なぜなら、大リーグ史上新人最多を刻んだ安打数の、その三分の一が内野安打
という事実は、本来恥ずべきものであって、断じて誇るべきものではないからだ。
セーフティーバント安打は、その積極的な姿勢において肯定的に除外するが
たとえば、決定戦5戦目の第一打席のピッチャーゴロ、間一髪アウト。
左腕ペティットの球に完璧に詰まったあのボテボテの打球が、かりにもっと
詰まって、ボテ・ボテ・ボテと転がっていたら、あれがセーフとなることを
銘記すればよい。それがイチローの量産した内野安打の本質である。
すなわち、より多い成功には、より酷い失敗が不可欠であるという
その不健康なバランス。この意味で、内野安打とは打撃そのものに
たいする冒涜に他ならぬばかりか、この不健康さはまた、足の速さという
肯定的要素じたいをも汚染する。より速く走ることはそこで、より良く打つ
ことではなく、より悪く打ち損ねることと補完・補償的な関係を結んでしまうからである。
ここに露呈するのはしたがって、あくまでも、純粋により良く、強く、速く、
巧みに、爽快に動き動かすことの放恣を誇るべきスポーツの運動性にたいする
二重に冒涜的な成功となるわけだが、たとえば、三度のメシより打つこと
(ボールをバットの芯で捉えること)が好きなのだという広島カープの前田
が、イチローを絶対に認めないと発言していたのはこれゆえである。