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>>1の続き
【最初は気乗り薄】
実は、出演依頼を受けた当時は、あまり乗り気ではなかった。
「だって私、時代劇のお姫さまだったでしょ。それが、庶民的なカレーのキャラクターって…。
しかも、お湯で温めるだけなんて、何だか気味悪くって。いまから思えば、ホント小生意気な
娘でしたね。ホーロー看板にしても、当時の社員さんが、看板設置に難色を示す全国のお宅
に理解をいただくのに、大変な苦労をしていたことを後から知りました。この仕事の大きさが、
全然分かっていませんでした」
もちろん承諾後は、徹底的に「日本のお母さん」にこだわった。おなじみの髪形は深夜に京都
で時代劇撮影を終えて大阪のスタジオに直行し、鬢付け油ベッタリのまま強引にセットした。
【復帰はしません】
3パターンある和服も自前で用意した。あれから40年、思いがけず全国の食卓へ舞い戻った
が、女優業の復帰やメディア出演は「絶対にない」と言い切る。
「だって、皆さんのイメージが壊れちゃうでしょ。皆さん、日本のお母さんといえば『松山容子』
とおっしゃっていただきますし…。私は仕事と家庭、両方に中途半端なことをしたくなかった
ので、結婚後は仕事をキッパリ辞めました。これからも平々凡々、時の流れるままに人生を
終えたいと思っています」
ボンカレーは、ピーク時に年間1億食を売る国民食となり、累計25億食も販売。ファミリー
マートも2000年夏、“松山パッケージ”の『ボンカレーパン』を発売し、6週間で500万食を
売る大ヒットとなった。
「これまでもこれからも、私が食べるカレーは『ボンカレー』だけ。限定パッケージは、近所の
スーパーで“ハコ買い”するつもりよ(笑)」
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写真:
芸能界から完全に引退した松山容子さんだが、ボンカレーのパッケージを飾った美貌は、
今(2006年に撮影)も変わらない
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「ボンカレー」初代パッケージ
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