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フランスサッカー、そのシビアな育成システム
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フレデリックは、幸運にもパリから1時間ほどのところで生まれた。
祖父母と曾祖父母の代からずっと暮らしてきた村の中心部で、仲の良い平凡な家庭で育てられた。
父親は、70年代のサン・テティエンヌの選手の伝説的な活躍を目の当たりにしており、息子の揺りかごにはサッカーボールを入れていた。
絶頂期のミシェル・プラティニが引退したとき、フレデリックは10歳にもなっていなかったが、
両親は息子がこのチャンピオンの後継者になるだろうと信じていた。
とある水曜日、すでに注目され、イヴリーヌ県の選抜チームに入っていたフレデリックは、
テスト研修を受けるように勧めていたパリ・サンジェルマンの担当者に電話をかけた。
彼は小学校でも中学校でも、みなにちやほやされる憧れのスターだった。少年少女の夢の結晶であり、成功の代名詞であった。
グラウンドの彼は、ときには相手チーム全員をドリブルで抜き去り、ゴールを決める離れ業も見せた。
優秀な小学生だったフレデリックは、未来は輝かしいと吹きこまれているうちに、次第に勉強から頭が離れていった。
スポーツで身を立てることを夢見て、すでに圧倒的な強さを誇っていたサッカーの技を磨くことに力を入れ、
ポルシェを転がしている数年後の自分を思い描いた。
テレビ、父親の野心、貪欲なスカウトマンたち、周囲の誇大妄想の中で、彼は現実をはてしない高みから「見下ろす」ようになった。
「子ども時代はこんなふうに過ぎていった。雲ひとつなく、自信いっぱいで、未来は約束されていた。
熱中していたことが僕の仕事になるはずだった。誰もがそう信じて疑わなかった。
一番そう信じていたのは、知らず知らずのうちに現実から浮き上がっていた僕自身だ」