【比喩】若者の間で「コトバのあや」を使うことはタブー 理解されずにいじめに遭ってしまうat DQNPLUS【比喩】若者の間で「コトバのあや」を使うことはタブー 理解されずにいじめに遭ってしまう - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト1:ムネオヘアーφ ★ 08/03/26 22:47:50 0 買う気にもなれず、大型書籍店のサブカルチャー・コーナーに積まれた ケータイ小説のベストセラー『恋空』を立ち読みした。当然かもしれないが、 すべて横書きである。ひとつの文章が極端に短いうえ、センテンスごとに改行している。 「!!」や「?」「♪」「…」「↑」といった記号も多用されている。 最大の特徴は比比喩(ひゆ)がほとんどないことである。修辞学的に言えば、 比喩には直喩や隠喩、換喩、提喩などさまざまなものがあるが、つきつめれば 「コトバのあや」のことである。小説や物語は「コトバのあや」によって、読み物たりうる。 「綾」とも「文」とも書かれる「あや」は、人の心の微妙なヒダのことであり、 文章に波紋のような複雑なうねりをもたらす。そういう「あや」がない文章は 文体がない文章であり、たんなる作文でしかない。 だが現代の若者たちにとって、日常の会話でもメールでも、「あや」を使うことは タブー(禁忌)なのである。「あや」などを使ったら、それを理解できない仲間や 恋人から誤解され、やがてパージ(いじめ)に遭い、疎外されてしまう。 彼らは直接的、かつ単純明快なコトバによってしかコミュニケーションを はかれないのである。コトバは記号、あるいは符丁でありさえすれば良かった。 その背景には、彼らの茫漠(ぼうばく)とした、深い危機感があるように思える。 たんに交友関係における危機感だけでなく、時代そのものに対する危機感も含まれている。 しかし、彼らもだれかに自分の気持ちを理解してもらいたい。「コトバのあや」が まったくないケータイ小説は、こうして生まれた。ケータイ小説の奥付を見ても、 作者のプロフィルは書かれていない。『恋空』の作者の「美嘉」もどんな女性かは 分からない。「美嘉」は現代の若者を表象していさえすればよく、再びバルトの 刺激的な用語を借用すれば、「作者は死んだ」のである。 筆者などは、『乳と卵』の集団的特異語法を使う集団からはカラダ半分を残して、 ケータイ小説の集団的特異語法を使う集団からは完全に脱落している。 これは日本語の危機ではないだろうか。日本語の危機は日本の危機にほかならない。 (ふくしま としお) 産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080322/acd0803220341001-n1.htm 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch