07/12/16 16:15:33 0
19世紀末、朝鮮政府が欝陵島の開発に着手すると、于山島への認識はより
正確になった。その時点の朝鮮側の認識を示すものが、図1に掲げた大韓帝国学
部編「大韓輿地図」(1899年 奎章閣所蔵)であり、古地図としては欝陵島と于山
島がほぼ正しい位置関係に画がかれている(注4)。
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堀和生氏も于山を竹島=独島とみているようです。古地図の読み方は見る人
によりさまざまです。このように位置や形状などが不正確な古地図は万人の共通
理解を得られないだけに、国際司法裁判所において証拠とはなり得ないという荒
木氏の指摘はもっともです。
結局、韓国の官製地図において于山島の記述はあいまいなままであり、証拠
になる得る近代的な公的地図は存在しないようです。なお、有名な「大東輿地図」
は民間人である金正浩が作成したといわれているので、その地図から国家の意志
を読み取ることはできません。
結論として、韓国には「国際裁判において証拠となる地図が1枚もない」
といえるのに対し、日本は竹島=独島の領有を否定する公的な地図のみが数多
く存在します。しかも、それらは国際司法裁判所にて日本の歴史的な竹島=独島
領有を否定する有力な証拠になりそうです。
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