08/07/10 16:33:36
-続きです-
[3/3]
また同様に、クリエイターに対しても愛がない。制作者が細心の注意を払い、
画面の隅々まで気を配って作り込んだ映像の上に、問答無用で無粋なスーパーを載せる
というのは、映像制作を20年近くやってきた筆者には、やりきれない思いがこみ上げる。
「同一性の侵害」という権利を振りかざすことも可能だが、それよりもこれは、「魂」の
問題だ。
制作者と視聴者に愛がないシステムでは、衰退して当たり前である。今多くの人たちの
興味は、テレビよりも携帯電話によるコミュニケーションにある。厳しい格差社会において、
お互いの優しさが確認できるからだ。数年前にはテレビがネットに食われると大騒ぎ
されたが、まさかメールに食われるとは、当時は誰も考えなかっただろう。
■テレビはもはや「娯楽の中心」ではない時代が来た
ただ衰退が自然の摂理ならば、それも仕方がないのかなとも思う。例えば人類史という
大きな視点で見れば、人間が同じ場所に居ながら話もせずただ光る画面を眺めていたこと
など、ここ50年ばかりの出来事でしかないのだ。テレビは全く見られなくなるわけでも
ないだろうが、もう娯楽の中心ではなくなる時が来たのだろう。
これからのテレビは、話のタネという形で脇に退くことになる。そう遠くないうちに、
ワンセグを見ながらメールできる携帯が登場するだろう。それは人と人が話をすることが
やっぱり面白いという、大きな原点回帰の始まりなのかもしれない。
執筆者:小寺信良(こでら・のぶよし)
映像系アナリスト/コラムニスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、
コマーシャルなどを手がけたのち独立。映像、音楽を軸に、AV機器からパソコン、
放送機器まで幅広く執筆活動を行なう。AV Watch、ITmedia+Dにて週刊コラムを連載中。
またASCII.JPにてブログを掲載している。
-以上です-
依頼を受けてたてました。