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>>1の続き
■くろさん通信
再建を託された黒川氏には当時、「前任者の尻ぬぐいをさせられている」との同情とともに、
業界での知名度の低さから手腕を疑問視する見方も多かった。
「人間くさい人間」。黒川社長を知る人の評だ。
朴訥で飾らず、おかしいと思えば目上にもずけずけとものを言う。
洗練された都会派の秋草氏とは対照的だ。
「品質、納期を守るという富士通の原点が揺らいでいた。ITバブルの中でいい気になっていた」
そう感じた黒川社長は社内の意識改革に取り組む。
社内のイントラネットで始めた「くろさん通信」で、顧客を訪問したとき感じたこと、新しい発見、心にしみた瞬間-
など日々の自分の思いを隠さずに書き込んだ。
目線を下げて社員と向き合うトップの出現。黒川流のメッセージは、過度の成果主義で殺伐としていた社員の心を開いていく。
奇をてらわず、仕事の基本を大切にする。当たり前のことだ。
だが、ある社員は
「わかりやすいメッセージを発し、言葉と行動にブレがない。私利私欲でなく、富士通を本当によくしようとの思いが伝わった」と話す。
現場の温度を肌で知る黒川社長は社員の心をつかみ、「強い戦う富士通」にベクトルが向いた。
復活のもうひとつのカギは、選択と集中にあった。
事業の中核となる情報システム部門に注力し、非中核部門には大なたを振るった。
プラズマ・パネル・ディスプレー、液晶ディスプレーを相次いで他社に売却し、半導体のフラッシュメモリーを分離。
これで借金を大幅に減らし、経営を黒字軌道に乗せた。
「富士通を健康な体に戻す」との就任時の公約は達成された。
■退任の真意は
社長として最後の総会となったこの日、「一体全体、黒川さんに何があったのか」と、
会長にもならずに事実上会社を離れる真意をいぶかる声が、株主からも出た。
ただ、この退任に驚いたのは社内も同じ。
ある社員は「自分も、周りの社員もまったく予期していなかった」と話す。
“黒川イズム”が浸透していただけに、大黒柱を失うことへの危機感が社内を覆ったのだ。
「企業経営は変化が激しく、現役に権限を与えたほういい」。
黒川社長は経営の一線を離れる理由については、言葉少なにこう答えた。
システムエンジニア(SE)出身で現場のたたき上げだけに、後任が仕事をしやすい環境づくりに配慮したともいえる。
黒川社長は「富士通の復活」を報告できた晴れの総会の締めくくりのあいさつに立ち、
「株主の皆様の今日までの絶大なるご支援に対し、厚く御礼申し上げますとともに…」と述べると、突如言葉を詰まらせた。
熱いものがこみあげてきたのだろう。会場から自然に拍手が沸き起こった。
黒川社長からバトンを引き継いだ新社長は野副州旦(のぞえ・くにあき)氏。
この3年間、主力のソフト・サービス事業の採算改善を指揮し、赤字プロジェクトの撲滅で頭角を現した。
だが、役所関係などの渉外部門が長く、米国に10年近く駐在したため、名前を知らなかった社員もいるほどだ。
事業経験が乏しく、手腕は未知数なのだ。
原材料高への対応、手薄な海外事業の拡大、半導体などハード事業の改善など、経営課題は山積だ。
ばらばらだった会社を束ねた黒川氏の抜けた穴は大きい。
だが、富士通が「黒川なき黒川イズム」を血肉化したときこそ、真の復活の日といえるのかもしれない。