08/04/20 02:57:49
>>1の続き
中国人受け入れは4年前から。最初は48人で、順調に増えたが、一昨年、研修生の深夜労働は
法令に触れると入管から指摘された。農家は頭を抱えた。収穫期には未明から働かせて残業代を
支払っていたからだ。「300時間まで残業をさせてあげてと最初の説明会で言われた。忙しい
時に使えて、研修生も残業代に大喜びだったのに」。計15万円の残業代を支払ってきた農家の
女性(59)は残念がる。
地元JAなどが相次いで受け入れ資格を停止された。代わって、研修生を受け入れるため、
約200戸の農家が村農林業振興事業協同組合を設立した。「中国人研修生はもはや欠かせない
労働力。お金は多めに払ってでも日本人を雇いたいが、日本人はもう来てくれない」と組合の
佐原吉平理事長(64)は話す。
食料の自給率が39%まで落ちた日本。中国製食品への不信が広がる一方、日本の自給の現場は
いまや中国人頼みになりつつある。外国人に依存する「農」や「漁」の現場を訪ねた。
■カツオ漁にインドネシア人
宮崎県南郷町の目井津(めいつ)漁港を訪ねた。長野県川上村がレタス日本一なら、近海カツオ
一本釣り漁では、南郷町が漁獲日本一と聞いたからだ。
カツオの水揚げ作業に立ち合った。ここでは若い日本人の不足を補うように、インドネシア人たち
が働いていた。
4月7日午前2時半、5日間のカツオ漁を終えた第28一丸が戻ってきた。乗組員20人のうち
6人がインドネシアからの研修生と実習生だ。
6人は交代で深さ2メートルの魚槽に足から入り、1匹3~15キロのカツオをしゃがんでは
甲板上に持ち上げる。つらい作業が釣果6トンをすべて水揚げするまで2時間以上続いた。
「キツイ仕事、私たちが交代でやる。日本人やらない。でも船の日本人、みんな先輩だから仕方
ないよ」。3年目の実習生(22)はそう話す。エサとなるイワシの片付け、カツオの血の散った
甲板の清掃、食事後の食器洗いが仕事だという。
毎朝日の出の15分前には起床する。カツオの群れと遭遇すると、全員が甲板に出てサオを垂らす
が、1年目はエサ運びだ。釣りに加われるのは2年目からだ。
南郷町は93年、漁業分野でいち早く外国人研修生の受け入れを始めた。漁師のなり手が激減した
からだ。80年に2874人いた漁師はいま4分の1に。漁師の平均年齢は55歳まで上がった。
当初の2年はフィリピンから受け入れた。しかし、失跡事件が続き、漁協も役場も懲りた。
以後はインドネシアの水産高校の卒業生に絞った。みんな20歳前後で、いま町内に161人も
いる。
水産高校で航海は経験ずみのはずだが、1年生は最初の2、3航海の間、きまって船酔いで
七転八倒する。穏やかなインドネシアの海と違って日本近海は波が荒い。
スミントさん(21)は「ミント」、コシムさん(21)は「シム」と名乗った。来日前から
日本人が呼びやすいあだ名が付いている。2人の実家は米農家で月収は1万2千円ほど。
手当は1年目が月4万円。2年目が7万円、3年目が8万円だ。2人は半年ごとに10万円ほど
送金する。コシムさんは「国に帰っても漁業の勉強を続けたい」と話した。農業より漁業の方が
稼げるそうだ。
>>3以降に続く