【書評】東京は“新名所”ほどつまらない~『新・都市論TOKYO』 [著]隈研吾・清野由美 [4/16]at BIZPLUS
【書評】東京は“新名所”ほどつまらない~『新・都市論TOKYO』 [著]隈研吾・清野由美 [4/16] - 暇つぶし2ch3: ◆Robo.gBH9M @ロボ-7c7c(初代biz+ 支局長)φφφφ ★
08/04/17 16:13:38
>>2の続き

■再開発地区にこそネットカフェを!
そう考えたとき、再開発によって東京にあいついで誕生する街について触れた、序章における
次のような隈の発言は、建築家の立場から僕たちのような普通の都市住民に向けられた
皮肉にもうけとれる。

〈おそらくほとんどの人は、「新しい名所ができて楽しければいいじゃん。じきに次の名所が
完成したら閑古鳥だよね。ざまあみろ」とささやきながら高みの見物を決め込んでいる〉

だが、そんな高みの見物を決めこむ人たちがいるであろう一方で、続々と建てられる超高層ビルを
見上げながら、低所得にあえぎ、住む場所すら定まらない人たちがじわじわと増えつつあるのも
また都市の現状である。

〈様々な歴史、時間が染み付いているはずの「土地」の上に、その場所とは無関係な「夢」を強引に
構築する方法で作られた街が「郊外」と呼ばれたのである〉

さらに、その「夢」を鉄道という「線」によって束ね、つなぐ技を発見したのが20世紀だったという。

〈地図の上に新たに描かれた鉄道という「線」に沿って一つの「夢物語」を構築し、そのストーリーに
添って一つ一つ「夢」を配置していく。「夢」は単独ではみじめな妄想にすぎないが、束ねられ、
つなげられることによって、妄想から現実らしきものへと進化する。私鉄沿線の「郊外」とは、
そのようにして出現した現実らしき場所のことであった〉

こうした私鉄による郊外開発は、20世紀における都市開発の重要な手法となった。私鉄の小田急線が

隈は、同じく序章で、従来のトップダウン型の都市開発のように、資本や行政による規制(たとえば
建物の高さや容積率の制限など)に頼らない、住民が主体となる草の根型の都市開発の可能性を
さぐっている。しかし、その「草の根」すら持てないネットカフェ難民のような「根なし草」の都市
生活者たちは、都市開発への参加を許されないのだろうか?

その点に関する唯一の救いは、隈が、コンビニをはじめ居酒屋、カラオケルームなどの「匿名の
空間」に再開発の手法の可能性を見出していることである。

〈コンビニがあることで救われている人間はいっぱいいますよ。コンビニを肯定できない人が都市を
論ずることは、逆に不遜なんじゃないかな〉という彼の発言に出てくる「コンビニ」は、「ネットカフェ」とも
「ファミレス」とも置き換え可能だろう。

日本人はこうした、匿名にもかかわらずリアリティのある空間をつくることにすぐれているという。
事実、マツモトキヨシやブックオフにしろ、ここ10年のあいだに日本の都市を制覇した空間はみな、
匿名の空間だ。さらにいえば、それらの空間を支えているのは、そこで働くフリーターもふくめた
根なし草の都市住民たちである。

もし、都心に郊外の町田に見られるような混在性を取り戻そうというのであれば、匿名の空間を
拠点とした都市計画の可能性はもっと真剣に検討されていい。そしてそのときこそ、根なし草の
住民たちが主体となるべきではないか。いっそ、汐留や六本木に、そんな住民たちの監修のもと、
日本のゼネコンと海外の巨匠の手でネットカフェを合作してみるというのはどうだろう?

(文/近藤正高、企画・編集/須藤輝&連結社)



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