【書評】東京は“新名所”ほどつまらない~『新・都市論TOKYO』 [著]隈研吾・清野由美 [4/16]at BIZPLUS
【書評】東京は“新名所”ほどつまらない~『新・都市論TOKYO』 [著]隈研吾・清野由美 [4/16] - 暇つぶし2ch2: ◆Robo.gBH9M @ロボ-7c7c(初代biz+ 支局長)φφφφ ★
08/04/17 16:13:21
>>1の続き

JRの横浜線と交わる町田もその産物にほかならないわけだが、この街ではさらに、私鉄の描く
「夢物語」のすきまから染み出た、生々しいリアリティが街全体を覆っていると隈は指摘する。
このリアリティこそが、町田に混在性をもたらしているというわけだ。

しかし、隈が町田で見出したような「混在性=都市性」は、都心ではしだいに失われつつある。
日本随一の歓楽街である新宿歌舞伎町ですら、最近は警察関係の取り締まりが厳しくなっており、
隈にいわせれば、「危険なワールド」というテーマに沿って規制された店がならび、ほとんど
テーマパーク化しているという。

東京の再開発ラッシュと時期を同じくして、隈の活動の舞台は日本国内から海外へと急速に
広がっていった。そのなかで彼は、日本の都市開発で刺激をうけることがほとんどなくなったと
漏らす。それは端的にいえば、クライアントが建築家と対等に付き合わないからだ。

日本の大企業の多くは自社ビルなどの建設を依頼するとき、建築家と直接話し合うのではなく、
ゼネコンを媒介にする。対等の関係では建築家が予定外のことを言い出したとき対応できない。
そのリスクを回避するため、ゼネコンにあらかじめリスク管理をゆだね、建築家への要望も
すべてゼネコンを通して伝える。

加えて、クライアントである日本企業はブランドとしての建築家の名前を必要とする。そこで
求められるのはあくまでもブランドであり、クリエイティビティではない。したがって、芸術的
観点からあれこれ言って、計画の進行をさまたげるような建築家は避けたい、というのが
彼らの本音である。

このような困難を解決するいちばんの近道が、外国人の“巨匠”を、ゼネコンを介して起用すると
いうものだ。

その結果どんな都市ができあがるのか。節操なくさまざまなデザインが取り入れられ、訪れた人が
その場に対して確たるイメージが結べない、退屈な都市である。もちろんここでいう「節操のなさ」は、
先述の町田に見られるような、都市開発の枠組を外れたところに生じた混在性とはまったく
異なるものだ。

「節操のない」都市の顕著な例として、隈は汐留のシオサイトをあげている。この街に建つ、
フランスのスター建築家、ジャン・ヌーヴェルの電通本社ビルも、イギリス人のカリスマ的建築家、
リチャード・ロジャースの監修による日本テレビタワーも、あるいは、アメリカのテーマパーク型
商業施設のデザイナーとして有名なジョン・ジャーディの手がけた商業施設「カレッタ汐留」も、
個々の建築として見ればとてもレベルが高い。

とはいえ、このようにデザインのまったく異なる建物が一つの街に並んでいるということは、
日本でしかありえないという。

そもそも都市をこういう姿にしてしまう要因となっている、先述のようなリスクをゼネコンにすべて
背負わせるというやりかたには、日本の企業体質が如実にあらわれていると隈は指摘する。
すなわち、日本のサラリーマン社会は、プロデュース能力のある人ではなく、「自分の代わりに
リスクを負ってくれる人がもっともありがたがられる」のだ、と。

どうやら都市再開発における問題の本質は、単に発注する大企業や施工するゼネコン側だけに
とどまらず、日本社会全体にも根深くあるようだ。

>>3に続く



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