08/03/07 14:28:50 DAbYIaJ5
■工場等制限法(近畿衰退化法案)■
~関西衰退は周到に計画された国策だった~
近畿を弱体化させるためだけでなく、中部産業を強化し、中部
を使って近畿を貶め、近畿の地位低下を促進させるため、中部
圏開発整備法が制定され、何と2007年まで中部に工場を進出
の場合には’補助金が支給されていた’のである。中部地方の
元気とは即ち’国策による関西経済破壊と中部強大化’の意図
された結果なのだ。
更に、この法律の不可解な点は、なぜ近畿の工場を中部にだけ
移転させ様としたかという事である。
他の地域に分配しても良かったのに中部だけに移転なのだ。
近畿を対象とした最初の「工場等制限法」が制定されたのが1964年
であり、2年後の1966年に「中部圏開発整備法」が制定された。
これは「制限」する法律ではなく、「開発整備」する法律であり、ここ
において製造業の近畿から中部へのシフトが、国策として図られて
いたのである。
近畿にとっては、まさしく経済的にも情報的にも「失われた40年間」
であったのは明らかである。
URLリンク(law.e-gov.go.jp)