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【さよなら三木鉄道】女性運転士の思い出は…
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紺色の制服に赤いネクタイ。帽子をかぶって白い手袋をつけると自然と背筋が伸びる。定刻。
ドアを閉め、ディーゼルカーの速度を制御するハンドルをしっかり握って「出発進行」。春に
は新緑、今ごろの季節は夕焼け…。現役時代、運転席から見た景色は、今も鮮明によみがえる。
太田貴子さん(42)が三木鉄道に入社したのは平成5年。その翌年にディーゼルカーの運転
免許を取得した。当時、女性運転士は全国的にも珍しかった。人当たりの良さと明るい笑顔で、
同僚や利用客からは「お貴さん」と呼ばれる人気者に。しかし、体調を崩したことから、多くの
人に惜しまれつつ、平成14年に退職を決断した。
今は時折、客として三木鉄道に乗車する太田さん。運転士当時の写真を見つめながら「よく乗ってく
れたおばあちゃんはどうしてるのかな。体壊してないかな。そんなことが気になるんですよ」と話した。
≪10年の乗務経験は今でも宝物≫
幼稚園に入る前、親につれられてバスに乗ると女性の車掌さんがいつも笑顔で整理券を渡してくれた。
「発車、オーライ」。優しいけれどよく通る声にあこがれた。乗り物に興味を持ったきっかけだった。
高校を卒業して地元の金融機関に就職したが、体調を崩して、5年ほどで退職し、入院。手術を
受けて退院後、アルバイトをしながら療養を続けていたある日、新聞を広げると、三木鉄道で活躍
する地方出身の男性運転士の記事に心ひかれた。
「かっこいいな~」。子供のころに感じたあこがれがよみがえった。同時に頭をよぎる病気への不安。
「私は今一番やりたいことは何なんだろう」。考え抜いて出した答えは「鉄道の運転士になりたい」だった。
「履歴書を持っていくので受け取ってもらえませんか」。電話で頼み込んだが会社は「女性は
採用したことがない。更衣室もないので無理」との応対。それでも直接会社を訪れ、精いっぱいの
熱意を伝えた。1カ月がたち、「やはりダメだったかな」と思った矢先、採用の電話があった。
入社するとすぐに指導運転士のもとで研修を重ねた。明石市から片道約50分を始発で出勤、
終電で帰宅する日々が続いた。ほぼ1年をかけ、念願の免許取得。全国的にも珍しい女性運転士の
誕生とあってマスコミから取材依頼が舞い込んだ。三木鉄道を売り出すチャンスだったが、「1人暮らし
の若い女性が危険にさらされる」と、太田さんの身辺の安全を考えた当時の鉄道部長がすべて断った。
乗務の合間、駅のホームで地元の人とたくさん知り合った。充実した日々。たがある日、恐れていた
病気が悪化した。「注意力が散漫になり事故を起こすことになってはいけない」。大好きな三木鉄道
を去った後、「しばらくは列車に乗って出かけるのも辛かった」という。
しかし約10年の乗務で得たものは今も太田さんの宝物だ。「常連さんが多くてみんな顔見知りに
なるんです。人も景色ものんびりしているところが好きでした」