【鉄道/兵庫】三木鉄道、来年3月末廃止 全国の鉄道会社から「車両譲って」[07/10/30]at BIZPLUS
【鉄道/兵庫】三木鉄道、来年3月末廃止 全国の鉄道会社から「車両譲って」[07/10/30] - 暇つぶし2ch124:名刺は切らしておりまして
07/12/13 09:00:20 /5n9Tz9Y
【さよなら三木鉄道】変わらない駅舎
URLリンク(www.iza.ne.jp)

 夕暮れ。家路を急ぐ人たちで、三木駅はかつてのにぎわいを取り戻したかのように見える。

 足早に近づく夕闇に、瓦屋根と白いペンキがところどころはげた木の柱が浮かぶ。駅舎からは
長い年月、風雨に耐えてきた風格が漂う。三木-厄神が全線開通したのは、90年前。長い歴史の
中で鉄道車両は幾度となく更新されたが、駅舎は一度も建て替えられず、当時の面影をとどめている。

 その駅から東の方を指差して、「今は家が建つあの辺りまで、昔は線路がのびていたんですよ」と
三木鉄道の実質的な総責任者、斎藤浩取締役鉄道部長(67)。待避線があったのだという。

 斎藤さんは旧国鉄・JRの機関区の運転部門で培った約40年のキャリアを買われ、JR貨物を
退職後に三木鉄道に入社した。「三セクは市が経営しとる鉄道やから金のことは心配せんでええ」。
JR仲間からそう言われ、7年前、ここに来た。

 ■鉄道マンとしてのエピローグ

 斎藤さんは淡路島(兵庫県)生まれ。淡路にもかつて洲本-福良(23・4キロ)に鉄道が
あったが、昭和41年に廃線となった。斎藤さんも乗ったことがあるが、「鉄道についての
専門的な知識もなく、特別な思いもなかった」。それが高校卒業後の33年、国鉄に入ったのは、
「給料は安いけど老後は安心」と親族に勧められたからだ。

 3年後、明石駅で駅員をしていた斎藤さんに転機が訪れる。

 「機関士募集」

 鉄道マンの花形であり夢だった機関士の門戸は、高校の電気科や機械科出身の職員に限られていた。
が、当時は東京オリンピックを3年後に控えた高度経済成長のまっただ中。鉄道輸送も最盛期で、
普通科卒の斎藤さんにもチャンスが巡ってきたのだ。

 試験に合格し、3年間機関助士を務めたのち、神戸市須磨区の「鷹取機関区」で正式な機関士と
なったが、「機械の専門的なことが何一つ分からず、機関士になってからが大変だった」。

 機関区は数十台の巨大な電気機関車と熟練の機関士が行き交う、まさに鋼鉄の城。「先輩から機関士
とは何か、客車、貨車を引っ張るとはどういうことなのか、じっくりたたき込まれた」と振り返る。

 そんな職場で経験を積み重ねてきた斎藤さんの目には「今は一人前の運転士になるまでの期間が
短すぎる」と映る。

 昭和末期、鉄道にも民営化の波が押し寄せた。やがて国鉄からJRへ。斎藤さんは大阪府吹田市に
あるJR貨物の吹田機関区での首席助役を最後に子会社へ出向。平成12年に退職した。

 再就職を考えていたとき、JR時代の上司から「ワシももう70歳やから後任としてこい」と、
三木鉄道へ来るよう誘われた。周囲からは「金のことは心配せんでええ」と言われた。

 ローカル線でゆっくりと鉄道マンとしてのエピローグを迎える-。しかし現実は違っていた。
「だまされたんですよ」。斎藤さんは苦笑した。


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