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Tetsuya Nomura (野村 哲也)はRPGに新しい息吹を吹き込んだ革命児だった。
SFCまでのRPGといえば中世ヨーロッパ風なものがほとんどだった。
もちろん天外魔境などの名作はあったがたいていは埋もれていった。
そうRPGといえば中世ヨーロッパ風じゃないと売れない法則があったのだ。
そこで野村はまずRPG=中世ヨーロッパの概念を打ち崩すことを目論んだ。
今ではすっかりおなじみとなった「RPGでの独特の世界観の構築」だが
これは当時では大変珍しいことであった。
しかもシリーズ6作も出ている人気ゲームなら保守的になることは当然である。
前作『ファイナルファンタジーVI』では同『V』までにも部分的に現れていた機械文明のさらなる増大を見せる
世界観であったが、『VI』の時点ではまだ西欧中世的な世界観をベースにしていた。
しかし、本作ではさらに機械文明の割合が増大・発達した世界となっている。さらに「城」がワールドマップ
から完全に姿を消し、東洋的異文化の国やネイティブアメリカン的なコミュニティを加え、
「RPG=ファンタジー=西欧中世的世界」のくびきを完全に脱した、FF独自の世界を構築するに見事に成功した。
さらに哲也野村は映画色をより強めていった。
元々FFといえば初代から映画的ゲームを目指したものだった。
坂口博信が映画に挑戦したことがそれを裏付けている。
FF1~5をやった人ならばそのシナリオの陳腐さから坂口の映画の失敗は容易く想像できたはずだ。
しかし哲也野村は坂口とは違い非凡な才能の持ち主だった。
緻密な心理描写、リアルな表現技法、ストーリーの奥深さなど今ではFFを語る上では
欠かせない「感動できるファンタジー」は7からのものなのである。
この野村の挑戦は、「ファイナル」と売って出て大ヒットしたFFを
何年も何年もただ食い扶持にしてきただけのFF2~6に対する、
失望、憎悪、哀愁、憤りの複雑な感情の中作り出されたアンチテーゼだったのかも知れない。
参考資料
THOMPSON, DAVID, Rosebud (New York : Knopf , 2002)
GIANNETTI, LOUIS , Understanding game(New Jersey : Pearson Education, 1999)