07/07/01 03:16:59 2QdI55Z50 BE:290734875-PLT(15555) ポイント特典
「映画『バッシング』はエゴイズムと軽蔑で覆われた日本文化・社会を鋭く告発している」と
フランスの新聞『ル・モンド』はこう批評する。映画「バッシング」で描かれる世界は、
ボランティアや記者が戦地に赴き、不幸なことにならず者に拘束されたならば、国をあげて
救出に乗り出す西欧社会とは異質の、危険な地域へ行ったボランティアが自己責任の名の下に、
吊し上げられる社会である。
この「バッシング」は、2004年にイラクで起こった人質事件をヒントにつくられた。
主人公の有子は、北海道の海辺の町で暮らす女性。彼女はある戦時国に、ボランティア活動で
入国する。活動をしている最中、武装グループに拉致・監禁されて人質となった。その事件
から、半年経った彼女の姿が、スクリーンに映し出される。
有子は、勤務先のホテルの上司から呼び出され、「君がきてからすっかり職場の雰囲気、
変わっちゃってね」と言われ、解雇を宣告される。有子がコンビニでおでんを買い、
店の外に出ると、見知らぬ若い男たちに囲まれ、殴られる。自宅には、いやがらせの
電話が日に10本はかかってきて、「ブッ殺すぞ」と喚いて切られる。久しぶりに、
会った恋人からも「自分のことしか考えていない」「国中のみんなに迷惑かけた」と
責められる。さらに不幸なことに、有子の父親は職を追われ自殺する。有子は、
父の保険金をもとに、再び戦地へ行くと言い出す。なぜ、そこまで日本を捨て危険な
ところへ行きたがるのか。彼女は、それまでの人生を不運に過ごしてきたが、戦地に
行きはじめて、生き甲斐を得たのだという。
世界中で、物笑いのネタになった「自己責任バッシング」の愚かさを、テーマに取り上げる
ことには意義があろう。しかし、戦争報道・戦場ボランティア・国家といった大きな
テーマが掲げられながら、結局最後は「自分探しの旅」という物語に収めてしまうのは、
何とも物足りない気がする。(大幅中略)
外国人たちにとって日本の、日本人の「自己責任バッシング」など理解不能であろう。
世界各地でも公開される予定の映画「バッシング」は、どんな反響を呼ぶだろうか。
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