07/08/15 09:30:51
以前、「不幸の手紙」と称されるはがきが送られてきた。同じ文面の
はがきを何人かに送らないと不幸になるとある。不愉快な思いをしたが、
先の大戦中には「平和の手紙」があった
「我々はもう戦争はあきあきしました、一日も早く平和の来る様神様に
御祈り致しましよう」。やはり同じ文面で何人かに送ることを求めているが、
内容は不幸の手紙と違って、人々の心をつかむことができる。国家が
世の中を戦争一色に染めようとしてもそうはいかなかったようだ
他にも事例はある。「一億の国民は腹ぺこ(略)団結して反戦運動を展開せよ」
と書かれたビラがまかれたこともあれば、全国の公衆便所には「戦争ヤメロ」の
落書きが頻繁に登場した(早坂隆著『日本の戦時下ジョーク集』中公新書ラクレ)
犠牲者が増えることへの懸念があったのかもしれない。七十代半ばの女性から、
印刷業の父親が開戦直後に敗戦を予言していたと聞いた。理由は「資源がない」。
特別な情報があったわけではなく、炯眼(けいがん)に恐れ入る
今日は六十二回目の終戦記念日。戦争を体験した人から、「いつか来た道を
歩んでいないか」と指摘されることが年々増えている。戦争の記憶が国民的な記憶
として成立しなくなっていることが、不安を一層募らせている気がする
「いつか来た道を歩んでいない」と答えるためにも、あの戦争で一人一人の身に
起きたことをもっと詳しく知りたい。平和の手紙にしても誰が考えたのだろう。
その努力を続けている限り、反戦の心情を失うことはないと信ずる。
東京新聞コラム・筆洗 2007年8月15日
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