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誰が「小沢一郎」を葬ったか
▼「第2の角栄だ」永田町を駆け巡った「アメリカにやられた!」
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「小沢はアメリカにやられたんだ!」。小沢氏が辞任会見に臨んだ時、永田町にはそんな声が駆け巡った。
インド洋での給油活動を停止した日本に、アメリカは激怒。小沢氏は、かつてアメリカという“虎の尾”を
踏んだ故田中角栄の二の舞になったというのである。
インド洋での給油活動からの撤退-この一事を阻止しようとして失敗し、安倍前総理は退陣。そして、福田政権も、迷走中だ。
そんな中で飛び出したのが自民党と民主党との"大連立構想"であり、それに乗ったのが小沢氏である。
しかし、危険極まりないその構想に、なぜ小沢氏は踏み入ったのだろうか。
「冷静沈着な普段の小沢氏なら、乗らなかったのではないか。会談に応じたこと自体が不可解だし、何か焦りがあったとしか思えない」
と、永田町関係者は口を揃える。そして、その焦りの原因を「アメリカ」と見る専門家は少なくないのだ。
「給油を一刻も早く再開しろ、というアメリカの要求は厳しく、小沢氏の周辺にもさまざまな形の"風圧"があったのです」
と指摘するのは、政治評論家の森田実氏だ。「その風圧を感じた小沢氏は、すでに8月にワシントンに自分と一心同体の人間を
派遣して米高官と接触させていました。米のプレッシャーをひしひしと感じる中で、小沢氏に"米国恐怖症"が猛烈に芽生えていたのです。
今回の会談に乗る素地が出てきたのはそこです。与党と政策合意して連立政権を組み、国連決議の下に自衛隊の海外派遣に道を開き、
その上で給油を実現するという道を小沢氏は選んだのです」 が、参院選の余波が続く8月8日、小沢氏はシーファー駐日大使を党本部に
呼び出し、45分間も待たせて報道陣に"晒し者"にした上で、テロ特措法への反対を表明していたはずである。
「非礼という以前に、あのやり方は社会人として問題がありますね。まさしく小沢氏の政治手法であり、パフォーマンス。
大使は、小沢氏のダシに使われたのです」(中西輝政・京大教授)それほど強気な小沢氏が、本当にアメリカに恐怖など抱いたのだろうか。
>>2-10辺りに続く