07/11/06 23:39:29 zyXR2lvN0
>>800
『この古検は文禄三年(1594年)のいわゆる太閤検地をさすものと考えられるから、
彼らはいつの頃からかは分からないが、この穢多屋敷に移ってくるずっと以前から、
それまでの●●大明神の隷属民としての境遇から抜け出し、
農民として自立することによって自らの身分や生活を向上させようと、
●●村から西南約150メートルの●●郷の地に
146石余の高を保持する農民に成長していたことが分かる。』
↑ある被差別部落の歴史(岩波書店刊)より抜粋
↑上記書籍にあるように、その差別の始まりは遠い昔に遡るようです。
江戸時代の身分制度という教え方は、ちょっと違うのかもしれませんね・・・。
なお、地名はあえて黒字で伏せました。
あと、カイドーによる北詣は、
やはり慰安旅行や交流目的程度だと思われ・・・。
ソーレン幹部でも本国においては何の力もなく、
ただただ、カネ、人、物、科学技術を得るために利用されているにすぎないようですし、
よって、カイドーが北朝鮮国内で観光以外のことができるとは思えないのですが・・・。