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1974年(昭和49)9月28日
京都府亀岡市で差別発言をした会社員が京都府連から一カ月にわたる糾弾を受け、
「いくらあやまっても許してもらえない」と焼却炉に飛び込み自殺する。
1977年(昭和52)1月13~15日
解同北九州市協1000人、部落知名総監購入企業19社を集めて市役所で3日間
泊まり込んで述べ50時間糾弾。企業側3人救急車で運ばれる。うち、Mセメント
の幹部、2月14日社宅で自殺。「責任をとって」といわれる。
平成18年10月上旬 長野県御代田町の同和担当課長自殺。
解同の圧力あり。町議会で取り上げられる。
昭和63年1月~4月にかけて、高知市立一ツ橋小学校の周辺の電柱などに「エタせん
こうしね」などという差別落書が発見された。そして同校には、被差別部落出身者を父
親に、高知市教育委員会同和教育課長を夫に持つ女性教諭Aが勤務していた(ただしA教
諭自身は部落出身ではなかった)。これに対して解同高知市協(森田益子議長)は、高
知市教育委員会と共に、この落書に書かれた教師はA教諭であると決めつけ、"部落民と
しての誇りを持てば苦しみがなくなる"と同教諭に部落民宣言を強要。同教諭がこれを拒
絶すると、解同側は同教諭のプライバシーに関わるビラをばら撒いた上、同教諭とその
身内を"部落民なのに部落民宣言を拒む差別者である"と『解放新聞』紙上や街宣車で中
傷し、同教諭とその一族の人格権を侵害した。この事件の裁判の途中でA先生の夫が病没。
→心労がたたった可能性も