07/10/23 02:46:19 hCE9ewZM0
寛仁親王殿下
・・・それから、私達が生まれた時はまだまだモノがない時代でした。うちも貧しかったそうです。
葉山に疎開中に生まれたのですが、お袋自ら畑を耕して芋を作っていたような世代ですしね。
だからいまだにコーラとかアイスクリームとかは、賛沢品だと思います。うちの冷蔵庫にはそんなものはなかったですからね
─ そうですか。
寛仁親王殿下
そして、日本の復興時代に青春を過ごした訳です。だから明るかった。確かにモノはないし、遊ぶものはない。
運動部に入ると、スパルタで滅茶苦茶にしごかれる、ぶん殴られますし、教師も乱暴でしたね。とにかく荒々しかった。(略)
我々は電車通学していましたから、学習院の制服を着ていると、よく喧嘩を売られたものでした。
相手は、こちらが皇族という事も知りませんからね。ボコボコ殴られる。こちらもやり返しました。
でも、基本的に明るかったのです。陰湿な所がなかった。
─ 育った時代の違いですか。
寛仁親王殿下
私達の時代は本当に何もなかった。それが良かったのです。酒が飲みたいのですが、高くて飲めない。
そんな時は、「先輩飲ませて下さい」と頼んだりね。両親が飲みませんから、お中元、お歳暮に酒がほとんどこない。
たまに来ると、老女と私と弟とが取り合いをする訳です。「こっちは飲みたい」。向こうは「隠したい」(笑い)。そんな時代ですから。
「正論」平成十八年三月号 「いま申し上げて置きたいこと」より
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