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父がゲリラに加わり、母は殺された。姉妹は繰り返しレイプを受け、目の前で村が
焼き尽くされた。怒りと憎悪に満ちた少年は、9歳で銃を取る―。内戦下のスーダンで
少年兵となり、過酷な運命を生き抜いたラップ歌手、エマニュエル・ジャルさんの
ライブがこのほど、当地のクラブで開かれた。客席を埋めたのは、何不自由ない
生活を送る米国人の若者たち。ジャルさんがラップのリズムに乗せて語る体験は、
かれらの想像をはるかに超えていたに違いない。
ジャルさんはスーダン南部出身。生まれた年は「たぶん1980年だが、正確には
分からない」(本人談)。同国では83年から、イスラム法の導入に反発する
キリスト教徒主体の反政府組織、スーダン人民解放軍(SPLA)がゲリラ闘争を展開。
戦いに巻き込まれて家族も住む場所も失ったジャルさんは、国連の難民キャンプに
収容される。その後SPLAに誘われるまま、訓練を受けて少年兵となった。
やがてSPLAの分裂を機に、400人の仲間たちとともに逃亡の旅に出たジャルさん。
飢えと闘いながら3カ月間、ジャングルや砂漠の中を歩き続けた。ワニに襲われたり
水におぼれたりして、少年たちは次々と死んでいく。「腐った仲間の肉を
食べようとした日もあった」―ジャルさんのラップには、そんな歌詞が出てくる。
最後まで生き残った仲間は、わずか12人。ジャルさんはそこで、
英国人ボランティアのエンマ・マキューンさんと出会う。マキューンさんはジャルさんを
かくまってケニアへ連れ出し、母親代わりとなって学校に通わせた。
「イスラム教徒とアラブ人を殺すことしか頭になかった」ジャルさんの心は
次第に開かれ、「憎しみを乗り越えて、許すことができるようになった」という。
ジャルさんの歌の才能は、ここで開花した。
(後略)
*+*+ CNN 2007/10/21[19:34] +*+*
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