07/10/12 20:02:40 v9ByfMXl0
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>3月20日手榴弾配布の命令説であるが、なによりも、
>当時16歳であった金城重明自身が、そうした命令を受けていないことを
>明確に語ったことは重大である。金城重明は、20日に役場に集められたこともなく、
>兵器軍曹から手榴弾を交付されることもなかった。
>もちろん「1発は自決のために使え」という命令も受けてなかったのである。
> 金城重明の言い訳は、兵器軍曹から手榴弾を配られたのは渡嘉敷部落だけであり、
>阿波連部落には、手榴弾の配布はなかったということであった。
>それが軍の命令なのであれば、阿波連に伝えられないということがありえようか。
>さて、それでは、渡嘉敷部落で手榴弾をもらったものがいるのかと聞けば、
>なんと、もらったものは誰も知らないというのである。
>与那嶺次郎、小嶺勇夫、安里広信ら渡嘉敷部落の同級生も、
>同級生で役場の職員だった吉川勇助も3月20日に手榴弾をもらっていない。
>当時14歳だった知人の金城武則も。
>では、金城重明はいつ誰から20日の手榴弾配布という話を聞いたのだろうか。
軍が直接渡したってのは、命令有った派の証言ですら
なんかあやふやになってますよ・・・