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沖縄県生活福祉部援護課が1976年3月に発表したところによると、日本側の死者・行方不明者は18万8136人で、沖縄県出身者12万2228人のうち9万4000人が民間人とされている。
負傷者数は不明。アメリカ軍側の死者・行方不明者は1万2520人で、負傷者7万2千。ただし、日本側の死者数は戸籍が焼失したり一家全滅が少なくないなどの事情により全面的な調査は行われていないため、実数はこれを大きく上回るという指摘がある。
現在は死者20万人を超えており、未だに数多くの遺骨が見つかっていない。
当時の沖縄県の人口は約45万人と推計されており(沖縄タイムスによる)、少なくとも県民の3人に1人が死亡したことになる。
また、激戦地となった南部地域ではいくつもの集落で住民が全滅もしくは住民の半数近くが死亡するなどで人口が激減したため、合併を余儀なくされた村もある。