07/10/01 01:02:32 IO41Y8gl0
死亡前日の25日、脱走に腹を立てた親方は夕食時、額をビール瓶で殴り、ケガがを負わせた。
兄弟子も稽古場の外に連れ出し、殴る蹴るの暴行を加えた。
と言うことは、26日夜か26日早朝に、すでに亡くなっていたのでは?
だが、親方の説明は、
「翌26日朝の7時から朝稽古だっが、起きて来ずに寝ていた。11時頃になって起きて来た。
ぶつかり稽古を30分ほどして意識を失った。1時間くらい放置していた。
様子がおかしくなり救急車で病院に搬送した。」
【予想】
25日の夜 病院に連れて行くことも出来ないくらい酷い状態になっていた
この時期 朝青龍の一件もあり世間を騒がすわけにはいかないと思った
病院に連れて行けば暴行がバレて大変だ
ない頭で考えて殺して、火葬すればバレナイと誰かが提案して実行した
もしもの時迷惑がかからないように26日は幕内力士は不在にした
止めを刺して死ぬのを待った そして犬山中央病院へ死亡診断書を医師が書けば
火葬できるはずだった
しかし犬山中央病院の医師が不審死として愛知県警に連絡
本当なら県警の検死が行われるべきなのに何故か司法解剖は無し
何故でしょうか?