07/09/27 16:25:16 0
21日付の本欄で漫才師の宇治原史規氏が選挙の低い投票率を嘆き、投票の面白さを
教育するよう提言している。良識的な意見だが、良識とはえてして「公認された俗論」であり、
最も悪質な「思考の足かせ」である。
選挙は民主主義の根幹である。しかし、私は民主主義そのものを信じていない。参院選の前、
舛添要一氏は、「銃弾による政治より投票による政治」が民主主義だと語った。さすが東大で
政治学を講義していただけあって、俗論に依拠していない。だが「銃弾より投票」とは「強盗より
詐欺を」ということではないか。それでいいと言うのなら、私は便宜的に民主主義に与してもよい。
そもそも政治(その本質は統治)は必要悪であるのだから、同じ悪なら強盗より詐欺のほうが
セカンド・ワースト(最悪の次に良い)である。だが、これを認めた民主主義論、民主主義教育を、
私は聞いたことがない。民主主義は、隠蔽と欺瞞の上に成り立っているのだ。
さて、便宜的に民主主義に与するとなると、投票率向上策はどうか。
投票権免許制が最善だ。車の運転には試験を伴う免許を要し、その種別によって権能が違う。
これと同じだ。投票権を第一種から第十種までに分け、第一種は一票、第十種は十票と、
種別按分(あんぶん)の持ち点制にする。投票権免許の試験は、車の免許と同じようにごく基本的な
知識を問うものとすれば公平性も保障される。
昨今の投票率低迷の原因は、宇治原氏も言うように、自分が投票しても何も変わらないという
あきらめである。こういう有権者はむしろ政治的見識が高い。これに応えるためにも持ち点制は
最良だ。だいたい、立法・行政・司法の三権のうち、立法のみが何の資格も要しないのは異常だと
なぜだれも思わないのだろう。
(評論家・呉智英)
URLリンク(www.iza.ne.jp)