07/09/23 02:51:33 T8H61sDX0
最後に「おとうさん、おかあさん、大好きだよ。」
「本当にありがとう。おとうさん、おかあさん、のせいじゃないからね。」
「産んでくれてありがとう。」「でも、疲れちゃったんだ。。。」
・・・
という意味の遺書だったのだろうか・・・
本当にやさしく純粋な心のきれいな人であったのだろうと思う。
シッカリしたと根底には哲学を感じる。あとは社会が少しずつ情報を消費するだけではなく
そのひとつひとつから感受性豊かに学びとっていかなければ、彼に失礼だ。
・・・でも、死んだらあかん。親御さんはやっぱり分かっていても
心に大きな穴を作ってしまう。親の愛とは子供が考えているより遥かに深いと子を持つようになって感じる。
『愚者は【経験】に学び、賢者は【歴史】に学ぶ』つまり、どの様にしても「学ぶ」事はできる。
しかし、私を含め多くの愚者達は自分にとって大切なものを失ってみて初めて痛感する(経験によって学ぶ)
この痛感する思いを他の人々が繰り返さない為に私達はそれら過去の事象、情報から
感受性豊かに(素直に)想像力を以って取り入れていかなくてはならないのだと思う。
同じ苦しみや悲しみの連鎖が少しでも拡散しないように・・・
・・・安らかにお眠りください。