07/08/31 03:03:58 QzLxYh510
自分が奪ったものと等価のものを差し出す。これは世の中の基本です。法律も同じです。
犯罪者が他人の命を奪えば自分の命を差し出す、これは結果責任として当然。
さらに回復できない命に対しての損害が別に発生しているわけでこれも強制労働による
収入で被害者に払うべきなのです。
しかし、この原則を厳しすぎると考えるヒトがいます。教育刑だとかいって
犯罪者に真人間になることを進めます。しかし、結果責任を負うことと、真人間になることは
まったく異なる問題です。結果責任をとってこそ真人間になることができるのです。
他人のお金を盗ったやつはお金を返さないで真人間にはなれません。しかし殺人事件では、
ヒトの命を奪った人間が結果責任をとらずに真人間になれるという論理をふりかざすインテリが
います。この飛躍はおかしいのです。人類など感情において2000年前も今も変わらないのです。
進歩していない。愛や憎しみは変わっていません。それを進歩した人類は死刑を選択しない
などというウソで回避する偽善者、表面のきれいごとはやめましょう、それで
傷つくヒトが多くいるのですから。