07/08/28 22:50:51 sy1/d8g80
某窓際放送局社員の独り言“ウチの局がこんなになってしまった経緯”
(1)1960年代~
テレビ放送が始まってまもなくの頃、放送中のちょっとした言葉づかいの問題
(例えば「朝鮮民主主義人民共和国」を“北朝鮮”と呼んでしまった、など)に対して、
朝鮮総連から会社及び経営幹部の自宅に対して脅迫に近い抗議行動が繰り返される。
抗議行動に対する「手打ち」として、採用枠に“在日枠”が密かに設けられる。総連幹部
の子弟を中心に入社試験無し(カタチだけの面接)での採用が毎年続く。在日枠の密約
を所轄官庁に対して内密にしてもらうよう局側から総連に「お願い」をしてさらに弱みを
握られるなど、素人のような甘い対応で身動きがとれなくなっていく。
続く