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>>534の続き
獄中で、読み書きも困難な状態から独学で執筆活動を開始し、1971年に手記
『無知の涙』、『人民をわすれたカナリアたち』を発表した。この印税は
4人の被害者遺族へ支払われ、そのことが1981年の高等裁判所判決において
情状の一つとして考慮され、無期懲役への減刑につながった。
1997年8月1日、東京拘置所において永山の死刑が執行された。享年48。
永山の告別式は東京都文京区の林泉寺で行われ、喪主は東京高等裁判所に
おける差戻審、差戻後上告審で弁護人を担当した遠藤誠弁護士が務めた。
永山の遺言により、遺灰は故郷の海であるオホーツク海に、遠藤の手に
よって散布された。
死後、弁護人たちにより「永山子ども基金」が創設された。これは著作の
印税を国内と世界の貧しい子どもたちに寄付してほしいとの、永山の遺言に
よるもので、貧しさから犯罪を起こすことのないようにとの願いが込められ
ている。