07/08/12 11:36:13 0
・安倍首相が八月十五日の靖国神社参拝を見送る方針を固めた。
首相に右ならえするかのように、閣僚も全員が参拝しないと表明した。
毎年、首相が参拝するかしないかばかりに関心が向きがちだが、他の閣僚なら見過ごして
いいという問題ではない。靖国神社の性格や靖国が掲げる歴史観、憲法の政教分離原則を
考えれば参拝見送りは当然のことだ。
ただし、これがその場しのぎのものなら参拝はいずれまた復活する。
この半世紀、終戦記念日に閣僚が一人も参拝しなかった年はない。今年は異例ということに
なるが、異例のままで終わらせてはいけない。
靖国には侵略戦争を指導したA級戦犯が合祀されている。その戦争を「自存自衛の戦い」と
正当化する歴史観も靖国ならではのものだ。政治家の参拝が歴史認識を問われるゆえんである。
昨年は小泉純一郎氏が中曽根康弘氏以来二十一年ぶりに首相として終戦記念日の参拝を
強行し、国内外から厳しい批判の声が上がった。
中曽根氏の後の首相がこの日の参拝をしてこなかったのは、政治家としての配慮があったからだろう。
安倍首相は小泉氏以上に靖国への思い入れが強い。過去には毎年のように終戦記念日の参拝を
重ねてきた。
官房長官だった昨年は、秋に首相のいすを賭けた自民党総裁選を控えて論議を呼ぶのを避けようと
したためか、早々と四月に済ませている。今春の例大祭には、私費で「真榊」と呼ばれる供え物を奉納した。
そうした私情を抑え参拝を控えてきながら、首相は参拝についてするともしないともいわない「あいまい
戦術」を貫いている。
なぜ「参拝しない」と明言できないのか。自分の思いを声高に言い立てる首相らしからぬ態度だ。
首相は外国の意向に参拝が左右されるべきではない、との考えも示している。
侵略や植民地支配の歴史を忘れない近隣の国々の感情を無視するような物言いに聞こえる。
そこに漂うのは国家主義的、復古主義的な気配だ。参院選の結果は、首相のそんな政治理念の
危うさに警戒心を抱いた民意の反映でもあった。
首相らに靖国参拝を見送らせたのは国民だったといってもいい。(一部略)
URLリンク(www.hokkaido-np.co.jp)