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2007年08月06日08時01分
原爆投下後に広島、長崎に設置された米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)をめぐり、米政府が
「原爆は特別な兵器ではない」との主張が揺らぐのを避ける意図で、被爆者の治療をさせなかったことが
50年代の米公文書で明らかになった。原爆投下への謝罪と受け止められることも懸念し、被爆者と
他の戦災者を区別しない方針を固めていた。米国は当時の冷戦下で、非人道的と非難されて原爆が
使いにくくなるのを防ごうとしていたとされ、研究者は「被爆者への対応も核戦略の中に
位置づけられていた」とみている。
朝日新聞が米国立公文書館に対し、ABCCに関する複数の公文書の閲覧を請求した。いずれも50年代に
作成された当時は機密扱いで、機密期間が過ぎた80年代以降に開示対象になった。
ABCCは被爆者を検査してデータを収集したが治療はせず、被爆者の間に批判があった。50年代になって
日本の報道機関も取り上げるようになっていた。
今回閲覧したうち、パーソンズ駐日公使が国務省北東アジア部にあてた文書(54年2月)には、
治療しない理由について「ABCCには日本での医療資格がない」ことなどを列挙。さらに重要なこととして
「(治療すれば)被爆者に特別な意味があり、他の兵器の被害者とは異なるという見方を支持することになる」と
説明した。「原爆投下への謝罪と解釈されかねない」とも指摘した。
また、ロバートソン極東担当国務次官補にあてた文書(同年1月)の中で、北東アジア部の担当者は米政府の
公式見解として「被爆者支援の責任は負わないし、その他の爆撃による被害者と区別することはできない」と述べている。
こうした考え方の背景について、核問題を研究する米ジョージタウン大歴史学部博士課程の樋口敏広さん(28)は
「旧ソ連とにらみ合った冷戦下で、米国は原爆を使用可能な兵器と位置付ける必要があった。ABCCが被爆者を
治療しなかった理由は核戦略と結びついていた」とみている。
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