07/08/05 11:51:31 0 BE:963131099-DIA(155555)
2007年8月3日(金)14:30
広島、長崎への原爆投下が太平洋戦争を終結に導き、何百万人もの人命を救った-。米国が繰り返す
原爆正当化の論理は、「(投下は)しょうがない」とした6月の久間章生前防衛相の容認発言と相まって、
被爆者の怒りをかき立てている。だが、その正当化論は戦後につくられた「神話」にすぎないことが、
終戦前後の米軍資料から浮かび上がってくる。
◇終戦の決定打はソ連参戦
「原爆を使用せずとも、対日戦争は(1945年8月9日の)ソ連参戦でほぼ終わっており、遅くとも46年2月半ばまでには
終戦を迎えていた」。戦後間もない46年4月、当時の米陸軍省情報部門の研究チームがまとめた極秘報告書が
ワシントン郊外の米国立公文書館に保管されている。2発の原爆投下が直接的に太平洋戦争を終結させたわけでは
ないと、第一線の米軍情報担当官らが告白していたことは注目に値する。
報告書は、米軍が原爆を使用しなかった場合の戦局の推移を研究したもので、昭和天皇は早ければ
45年6月20日には終戦を決意していたと指摘。ソ連参戦に至るまで、日本指導部は原爆投下にほとんど
言及していないとして、和平の仲介を依頼していたソ連の参戦が「日本にとって終戦の理由を完成させた」と
結論付けている。
◇侵攻後の米軍死者、30日で1万人
日本が降伏しなければ、米軍は45年11月1日を期して九州侵攻作戦(オリンピック作戦)を発動する計画だったが、
報告書は、原爆を併用せずとも作戦開始後2カ月以内に九州占領に成功し、その間の米軍死傷者は7
万5000~10万人と試算。46年春に計画していた関東侵攻作戦(コロネット作戦)の開始は不必要に
なっただろうと判断している。(続)
[時事通信社]
URLリンク(news.goo.ne.jp)