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3年前の10月、震度6強の中越地震に見舞われた新潟県の旧山古志村(現長岡市)。4月に
避難指示がすべて解除され、年内には仮設住宅での避難生活も終わりを迎えようとしている。
だが、住民たちは「今回の中越沖地震もひとごとではない」と、被災地での炊き出しなどの支援
を始めている。
豚肉25キロ、ジャガイモ26キロ、豆腐21キロ。大鍋三つで700人分の豚汁ができあがった。
地震発生から6日目の21日、山古志の住民有志35人が、刈羽村で炊き出しをし、避難所など
6カ所で振る舞った。
松井キミさん(63)が住んでいた山古志の集落は、土砂崩れでできたダムに沈んだ。今も、長岡
ニュータウンにある仮設住宅に住む。
「こっちに来て崩れた家を見たらね、前の地震を思い出して。胸が苦しくって」。冬にはようやく、
集落の移転先に新居が建つ。「私らも頑張ったから、みなさんも頑張って」。そう言いながら、笑顔
で豚汁をよそった。
豚汁には漬けものをそえた。山古志や仮設住宅裏の畑で朝とれたキュウリを、塩と唐辛子で
もんだもの。避難所での食事は生ものが不足しがちだった。「私らのときも、これが一番のごちそう
だった」。それを思い出して献立にした。
炊き出しの場所として選んだのは、9人が亡くなった最大の被災地の柏崎市ではなく、刈羽村
だった。
その理由について、青木勝・長岡市山古志支所長(57)は「自分たちの村が陸の孤島になって
しまった経験からです」と話す。中越地震の発生直後、がけ崩れで道路は寸断。電話もつながらず
外部に被害状況が伝わらなかった。
今回の地震では、柏崎市の被害について報じられることが多い。山古志の住民たちは、刈羽村が
その陰に隠れてしまうのではないかと懸念する。「被災者にとって、忘れられることが何より怖い
のです」
(以下略、全文はソース元でご確認下さい)
ソース(朝日新聞) URLリンク(www.asahi.com)
別ソース(読売新聞) URLリンク(www.yomiuri.co.jp)
写真(旧山古志村の住民たちが被災者を豚汁で励ました)
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)