07/07/14 15:06:52 0 BE:214164533-2BP(1038)
>>1のつづき
現場は一から強度計算し直し、抜本的に設計変更しようとしたが、予算システムの壁があった。
「開発費が一挙に膨らみ大蔵省(現財務省)から拒絶されることが怖かった。結局、複合材に鉄板を入れる
などして付け焼き刃を重ねた」(F2試作に参加した防衛省OB)。
防衛省やメーカーの優秀な頭脳はパッチワーク(継ぎはぎ作業)とその対応に投入された。その結果、
米国が提供を拒否した飛行制御ソフトの自主開発という成果を出し、補強材入りの炭素繊維の翼で
迎撃用戦闘機として飛べるようにはなった。
だが、改良費用はかさみ、当初予定の開発費1650億円を倍増させた。開発期間も長期化した。
「支援戦闘機として完成までにはあと60年かかる」という開発現場のうめきに、F2問題が凝縮されている。
F2を製造している三菱重工業小牧南工場の一角には、真っ黒な機体もどきが鎮座している。
次世代機の国産化も辞さないとする意思を誇示し、F2の悲劇を繰り返さないようにしたいと、防衛省と三菱が
見様見まねでつくった実物大のステルス戦闘機の模型だ。現にフランスに持ち込んでレーダーに映るか
どうかの実験もした。
1980年代後半、日本はバブル経済の絶頂期。防衛庁には「絶対に米国を越えられるという夢があった」
(防衛省幹部)。「FSX」(次期支援戦闘機)の国産化をめざしたが、米国からエンジン技術を提供しないと
いわれてあえなく挫折した。F16(ロッキード・マーチン社製)を母体とした共同開発でいったん合意したが、
「日本が米国を飲み込むという議会などの脅威論に押され、ブッシュ政権発足当時のベーカー国務長官には
対日関係安定を考えるゆとりがなかった」(アーミテージ氏)。
ブッシュ(父)大統領は、(1)中枢技術の飛行制御ソフトの供与中止(2)日本から無料、無条件で炭素繊維
複合材の一体成型加工技術とレーダーの素子技術の提供を約束させよと、ベーカー長官に命じた。
ベーカー長官の書簡一通だけで日本政府首脳の腰は砕け、「日米共同開発」の名目をとるのが精いっぱい
だった。製造作業分担は日本6に対し、米4だが、収益配分は逆の4対6だった。
>>3につづく