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原爆投下直後、多くの被爆者が助けを求め駆け込んだとされる長崎市の旧三菱長崎
兵器製作所の住吉トンネル工場跡で八日、見学会があり、約六十人の市民が参加した。
被爆体験の継承を考える市民の会(代表・舟越耿一長崎大教授)主催。被爆遺構の
同工場跡の現状を知り、保存の在り方を考える狙い。
トンネルは爆心地から約二・三キロの住吉町と赤迫一丁目間に計六本あり、全長
約三百メートル、高さ約四メートル、幅約四・五メートル。一九四四年九月から掘られ、
魚雷を造る工場として使用された。二本は保存し一般公開されるが、残り四本は市の
道路拡幅工事により九月末には姿を消す。
同日は同市民の会事務局の森口正彦さん(68)が、内部の構造や歴史を説明。
三号トンネルの住吉町側から約三十メートルを見学した。
トンネル内をじっくり見渡していた田端勝さん(78)=同市西北町=は「十六歳のころ、
ここで一日十二時間働いた。平和の尊さを伝えるため、当時の状況のまま残してほしい」
と訴えた。当時、三菱長崎兵器製作所大橋工場に勤め、同トンネルを避難所として使って
いた尾崎輝代さん(80)=同市浜平二丁目=は「死ぬか生きるかで走って来た場所。
胸がいっぱい」と涙をにじませた。
森口さんは「ここで働いていた人の証言を集めて保存の在り方を考え、市民の要望
として提案したい」と話す。同市民の会は十五日午後二時、長崎市岡町の長崎原爆
被災者協議会(長崎被災協)で同工場跡の保存をテーマに講演会を開く。
ソース
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