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589 名前: キンマンコの系譜 投稿日: 2000/08/10(木) 19:49
池田大作のファミリーは、父 池田子之吉 (当時、内地人と呼ばれた朝鮮人で日本国籍を取得した。戦争中は、二等兵 としてソウルに赴任し、子供の代作に朝鮮語や韓国の夜景の美しさを教えた。
戦後は、大田区大森にて海苔の漁師をしていた。)
母一(旧姓不祥、帰化していない朝鮮人)
多摩川沿いの古市場(現・大田区矢口三丁目)朝鮮部落出身
子 池田太作(後に大作に改名)
『東京府荏原郡入新井町(いり
あらいまち)不入斗(いりやまず)百七十七番地(現・大田区大森北二丁目十三番地)』朝鮮部落にて出生。
子供の頃は、日本語がロクに喋れず周囲は朝鮮人ばかりであった。
池田子之吉は、昭和26年に亡くなって、真言宗か曹洞宗のお寺に葬られたそうだ。
なぜ日蓮宗のお寺にしなかったのか聞いてみたいね。
そして、現在は、妻 かね(旧姓白木、公明党の白木義一郎氏と親類?)
池田大作には隠し子がいるかもしれない
子供は何人いるのだろうか?
子供の1人は、大石寺に勝手に戒壇堂を作った仏罰により死亡している。
その戒壇堂も大石寺に創価学会が破門され、大石寺によって取り壊されたのだった。一説によると太作は4男らしい。子之吉が外で遊んで作った子とも言われている。そのことが異常な詩を生んでいる。
「おお母よ!」気持ち悪いでしょ。普通に育った人には。
池田太作の弟は、もう死んでいる。
昭和59年に、太作の弟は死にました。太作には、あまり似てなかったように記憶しています。
弟は、信心していませんでした。フライデーに、葬儀の写真が掲載されました。
太作は、弟を折伏出来なかったのです。
改名するのって大変だと思うのですが、なぜ太作を大作に改名出来たのか?