07/07/08 13:45:41 0
>>2つづき
仲田氏が続ける。「そういえば、候補者の名前の漢字を質問した方もいませんでしたね。私は
こんなことはしたくなかったので、投票用紙を貰うとき、”イヤ、イヤ”と拒否したら、婦人幹部の方は
ギョッとした顔をされていました。しかし、まぁ、これだけやれば、票も集まるはずだとは思いましたよ。」
それでは一体なぜ、仲田氏は創価学会の身内ばかりが集まった座談会に紛れ込んでしまったのか。
「私は昔から宗教、特に仏教に関心がありまして、今から36~37年ほど前、近所のおばさんの勧める
ままに聖教新聞を読み始め、創価学会にも入会しているのです。独学で教義の勉強はやりましたが、
一方、学会組織の活動は殆ど何もしていませんでした。そんな私に、学会員の知人から、社会福祉の
仕事をやっていた経験を座談会で講演して欲しいと頼まれ、会館に出向いたのです」
おそらく、仲田氏を誘った知人の学会員は、活性の低い会員を刺激し、活動かを1人養成するぐらい
の心づもりだったに違いない。が、残念ながら、仲田氏は創価学会の組織に少々、批判的だったのだ
という。
「私は、創価学会が反戦を基本理念としているのに、公明党はイラク派兵に賛成したことなどを、
おかしいと常々、感じておりましたから…。信仰の面ならともかく、政治まで盲目的に追従するのは
問題だとも思っていたのです」
創価学会にとって、不幸が重なったのは、仲田氏が20年ほどの間に、読売新聞6回、毎日新聞14回、
朝日新聞に至っては14回も投稿が取り上げられている新聞投稿の”常連さん”だったことだ。
奇妙な体験をした彼は、この2日後、早速これを原稿にまとめ、誰かに相談することもなく「声欄」に
FAXしたのである。
「この内部告発をよく朝日新聞が掲載してくれた、と思います。実は、FAXで原稿を送り、朝日側から
”掲載します”と一旦連絡を貰ったあと、再び慌てた電話がありました。朝日の記者さんによれば、
創価学会の会館に確認の取材をしたら、会館側が当日は座談会や催し物をしていないと、事実関係を
一切否定したというのです。そこで、私が別の出席者を教え、その人物から裏付けがとれたため、
なんとか掲載に至ったのです」