07/07/07 21:04:47 0
・70年前の7月7日、北京郊外の川にかかる橋の近くで発砲事件が起きた。盧溝橋事件である。
この争いをきっかけに日中戦争は拡大の一途をたどり、太平洋戦争を経て、日本は敗戦を迎える。
そのほとりの村に、抗日戦争記念館がある。先生に連れられた子どもたちや人民解放軍の兵士たちが
学習に訪れる。時折、日本からの観光客も足を延ばす。
「七七事変」。盧溝橋事件を中国ではこう呼ぶ。満州事変が起きた9月18日と並んで、7月7日は
民族屈辱の日として記憶されている。その後、45年まで続く悲惨な日中戦争の起点との認識だ。
中国人にとって今日という日は、それに匹敵する記憶を呼び起こす。七夕を祝う日本とは大違いだ。
その日に、私たちがこの社説を掲げるのは、この1年が日中両国にとって特別の意味を持つと考えたからだ。
盧溝橋事件から70年、そして12月の南京大虐殺からも70年。中国や米国で最近、南京大虐殺などの
映画がいくつも作られている。米議会では、旧日本軍の慰安婦問題をめぐる決議案が本会議でも可決
されようとしている。好むと好まざるとにかかわらず、今年は歴史と向き合わざるを得ない年なのだ。
少し、歴史をおさらいしておこう。
日本の中国侵略は、盧溝橋事件の6年前、1931年の満州事変が一つの起点だった。翌年、満州国が
建国され、それらが原因となって国際連盟からの脱退につながる。日本は国際的な孤立への道を突き進む。
戦争が本格化したのは、盧溝橋事件の後からだった。日本軍は戦闘を中国各地に拡大していった。さらに
日独伊三国同盟を結び、インドシナ半島を南下するなどして、英米などとの対立は極まった。その結果、
太平洋戦争に突入し、最後の破局に至る。
日中戦争の歴史は、そのまま中国の近代史に重なる。日本にとっては米国との戦争、とりわけ広島と
長崎への原爆投下といった被害の方が深く記憶に刻まれがちだ。
この記憶のずれが、友好をうたいつつも、ぎくしゃくしてきた日中関係に影響しているのは間違いない。
(>>2-10につづく)
URLリンク(www.asahi.com)
※前:スレリンク(newsplus板)