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(略)正直言って、クラブDJが登場した時、彼らを「ミュージシャン」と呼んでいいのかどうか、
私もずいぶん迷った。楽器も演奏せず、歌も歌わないでオーディオ機器のボタンだけ押してい
る連中がミュージシャン(音楽家)なのか? しかし、彼らは間違いなく、新しい音楽を生んで
いるではないか。しかも、へたをすると、既存の音楽よりはるかに魅力的な音楽を、だ。
私は、「楽器」や「演奏」といった言葉の定義を改める必要が生じていることに気が付いた。
なぜなら、デジタル技術が音楽に入ってくることで、これまでのようにギターのコードやピッ
キング、鍵盤の運指を練習しなくても音楽をゼロから創造し、演奏することが可能になって
いたからである。
それは、1960年代の美術の世界で、ウォーホルやリキテンシュタイン、ポラックらが始めた
「ポップ・アート」が、伝統的な絵画技法(筆さばき、色の調合など)を知らなくても「芸術」が
創造できることを証明してみせたことに似ていた。30年遅れて、音楽は「演奏技術の習得」
から解放されたのだ。
とんでもない革命が起きた、と私は思った。70年代末のパンクロックが「いかに革命だ、破
壊だ」と叫んでも、彼らはちゃんと楽器を練習し、弾いていた。が、クラブミュージックは根本
的に違う。取扱説明書を読み、音源を探してきて、ボタンを動かせば、リズムや音程が多少
おかしくても、コンピューターが自動的に修正までしてくれるではないか。これはエジソンが
蓄音機を発明し、目の前にミュージシャンがいなくても音楽を楽しめるようになって以来の、
100年に一度の大変革なのだ。
こうして、数多くの人が「クラブDJ」になった。ここで問われるのは、演奏技術ではない。今
や膨大な堆積となったポピュラー音楽の「図書館」に入って、魅力的な「素材」を探し出し、
それをサンプリングし、ほかの音(シンセサイザー、ターンテーブルのスクラッチ、ラップ)と
組み合わせる。そういう「音楽をいかに深く知っているか」というセンスが、音楽の優劣をつ
くるようになった。(全文は URLリンク(www.ohmynews.co.jp) )