07/06/23 11:39:52 m1gl7pGe0
でも4月になると宜野座も空と海から米軍の攻撃が激しくなり、
さらにガマ(壕)に移動しました。
大きな、ガマの中に二百人はいたでしょうか。
その中で「あいつはスパイだ」といったうわさが飛び交い、
お互い疑心暗鬼の状態でした。
三歳の妹と、同い年のいとこが暗いガマを怖がって大きな声で泣くのです。
すると、どこからともなく三人の日本兵が現れ、
真っ白い毒入りのおにぎりを手渡しました。
「泣き声が敵に聞こえる。これを食べさせろ」
「二人のために、皆が犠牲になっていいのか」
といいました。
祖母を中心に、家族みんなで話し合いました。そして
「幼子だけ殺すわけにはいかない。死ぬときは家族一緒だ」
と決意し、ガマを出、墓や絶壁のくぼみに隠れたりしました。