07/06/23 14:27:25 XclBxEH70
第154回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第3号
○大出小委員
先ほどエホバの証人の輸血の問題が出ていますが、このときに、医者の方からしますと、輸血して助かるもの
なら助けてあげたいと当然使命的に思うでありましょうし、医者の方の義務もあると思うんですね。ぶつかった
ときに、多分自己決定権でおっしゃると思うんですが、その場合どのように考えたらいいのかということと、自己
決定権の、個人の自殺の自由みたいなものも認めるのかどうか、この二点、ちょっとお聞きしたいんですが。
○阪本参考人(広島大学法学部長)
まずエホバの証人の話からまいりましょう。ヒポクラテスの誓いで、医者は必ず生命を救いなさいという倫理が
ある。ところが、片や患者の方は、他人の血液を注入されるということは死の宣告よりも罪深い、こういうことが
ある。ただ、この事件においては、論点は簡単でありまして、要するにインフォームド・コンセント、十分説明しな
いままやったことが違法な身体侵襲で、これは不法行為だ、これは民法上のそれですからね。その処理で済み
ました。
それでは問題は、十分説明をした、しかし本人はなお拒否している、しかし、このままほっておるともう死は間近
であるというときに、医者が輸血した場合どうなるか。私が裁判官であれば、緊急避難行為として違法性はない、
こういう法処理をするだろうと思います。
自殺に関してですが、現在のところ、公法学会、私法学会を含めまして、自殺の自由を認めると自己決定をする
その基盤を失わせると。自己決定というのは、よりよい自己決定、または本人が、何か今から上昇するといいま
すか、自分のプリファレンス、自分のやりたいことを進めるために自己決定権というのを認められるんですが、
そのベースにある命をなくしたら自己決定権そのものもなくなるではないかと。そうすると、自分のベースを打ち
消すような自己決定権は背理として認められない。これが現在到達したところの理論です。
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