07/05/28 22:49:45 QiTDqER/0
マッカーサーは東京裁判を当初、「文明の断固たる闘争」と称していたが、
後年、連邦議会上院の委員会において、「日本が戦争を始めたのは自衛の
ためであった。東京裁判は間違いであった」と証言し、また、原爆投下
及び東京大空襲等による民間人の大虐殺行為(約30万人)を
正当化するために必要であった「南京虐殺30万人説」の法廷外宣伝に
ついても、その行き過ぎを後悔する談話が残っている。
東京裁判のわずか2年後に朝鮮戦争が勃発した。
その途端にマッカーサーは、戦前の日本が心から怖れた
「北からの脅威」の本当の意味がわかったのである。
共産軍の侵攻を放置すれば朝鮮半島が取られる。
朝鮮半島が取られれば日本が危ない。
そこで彼は全力を挙げて、朝鮮半島を守ろうと決意して戦った。
結局、アメリカ側は太平洋戦争にも匹敵するほどの死者を出すことになった。
戦いはじめてマッカーサーがすぐ気づいたのは、
ソ連や中国がバックに控えた北朝鮮軍と戦う場合、
朝鮮半島だけを考えては勝てないということであった。
その弾薬や武器は中国やソ連から湯水のように補給されているのだから、
その補給線を絶たないかぎり、相手はけっして降伏しない。
勝つためには補給基地となっている満州を空襲しなければならない。
また、東シナ海に面した中国の港を海上封鎖しなければ
ならないということは明白であった。そこでマッカーサーは戦争中、
その考えをトルーマン大統領に進言したが、これを拒否されてしまった。
トルーマンが、ソ連と原爆戦争に突入することを恐れたからであった。
そのため、マッカーサーは朝鮮半島を守りきることができず、
アメリカは北緯三八度線から北を敵に渡して、休戦協定を結ばざるをえなかった。
この体験を通じてマッカーサーは、戦前の日本軍がなぜ、
あれほどまでに満州に執着を見せたのか、
また北の脅威とはどんなものなのかを明瞭に理解したのである。
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