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電波知事の憂都 (04月09日 20時16分)
(略)
8日(昼)お台場から東京駅(八重洲グローバル)まで走った。途中、有明にある2016年東京オリンピック選手村建設予定地を通った。お台場から晴海通り、そこに今の東京が存在した。
一体、東京はどこに行くのだろう?行きたいのだろう?
東京は、結局、マニフェスト不在選挙だった。「マニフェストの壊死」。東京のある種なその圧倒と後退、「実は保守の素顔」、その真実をあっさり露呈した。そんなことは百も承知だったが。改めて認識させられた。
ドリームのある都市はいつでもどこでも保守的である。保守的であることが「夢」や可能性を際立たせる。
それを彼は知っている。
東京に「革命」「改革」の機運はまだまだ起こらない。起こるための決定的でかつ現実的なファクターが薄い。いや、多数の人々が薄いと感じている。
いや、気付いてないのだ。もしかすると気付きたくないのかも知れない。気付きたくない人が都会に集中してくるのかも知れない。
「革命」より「夢」や「可能性」が優先される。「夢」と「可能性」を信じるために保守であり続けなければならない街―東京。
「改革」に気付きたくない都市、東京。
保守であることによって理想と「夢」を、実際に「夢」が存在することを演出した街。ある意味、それが人々の理想であることが皮肉な現実である。
選挙は、ときに、社会とその社会に暮らす人々とそれらの正体・実体を浮き彫りにする。逆に言えば、それらへの先見が選挙を制する企てと言えよう。
東京は創造(変化)を一旦拒否した。東京の傲慢は復活した。これで暫く、東京は変わらない。日本も変わらない。それが是であるか非であるか?その検証も当面封印された。
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何を言ってるのか、全く分からない。分かるのは東の、浅野にしとけよ!という叫びだけ。