07/04/30 13:11:26 BvqDo6fe0
やはり、マスコミという巨大な権力に「民主主義」のルールを及ぼす仕組み作りこそ必要なんだろう。
国民の支配が及ばない権力など「独裁」以外の何物でもなく、恐怖の執行機関だ。
一方で、「記者」が「国民の目」を恐れ、萎縮してしまっては、旧来の権力機構を増長させかねない。
そう考えると、誤報に対する処理の仕組み、いわば「賠償のルール」を成立させることが必要だろう。
記者個人に賠償責任を及ぼさず(記者の萎縮を防ぎ)、一方で、マスメディアには相応の賠償をさせる。
いわば、国家賠償法のマスコミ版を作り、「書き得」を許さない仕組みを作る。
そして、マスメディアの経営に、国民が一定の影響を及ぼせるよう国会において承認させた委員で構成する独立した委員会を設立し、主要マスコミの株式の各34%を保有させる。
もし、マスコミが国民に鳥、害だけをなすようなことがあれば(捏造・誤報を繰り返す状態がそれに当たるのだろう)、大株主として、経営陣の刷新を図る。
そこまでしないと、マスコミは国民のための社会的公器にはなり得ないのではないか。