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・晩年の昭和天皇と香淳皇后に仕え、代替わりの実務を仕切った故・卜部亮吾侍従が
32年間欠かさずつけていた日記を、朝日新聞社は本人から生前、託された。天皇が病に
倒れて以降、皇居の奥でおきていた昭和最後の日々が克明に記されている。
天皇の靖国神社参拝取りやめについては「A級戦犯合祀(ごうし)が御意に召さず」と
記述。先の戦争への悔恨や、世情への気配りなど、天皇の人柄をしのばせる姿も
随所に書きとめられており、昭和史の貴重な記録といえそうだ。
靖国神社参拝取りやめの理由についても記述されている。最後となった天皇の記者
会見から数日後の88年4月28日。「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁のあと
出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」。
「靖国」以降の文章には赤線が引かれている。
昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を吐露したとみられる富田朝彦
宮内庁長官(当時)のメモも同じ日付。天皇は富田長官と前後して卜部侍従にも
戦犯合祀問題を語っていたことになる。
そして、卜部侍従は亡くなる直前、「靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯
直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」(01年7月31日)と記している。
日記の随所にみられるのが、終戦記念日や原爆の日に律義に慎む天皇の姿だ。
2・26事件の日もその一つだった。事件から41年たった77(昭和52)年
2月26日。天皇は意外な言葉を口にする。「御就寝前 治安は何もないかとの
お尋ね」。天皇のトラウマの深さがうかがえる。(抜粋)
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※元ニューススレ
・【社会】逝く昭和と天皇、克明に 卜部侍従32年間の日記刊行へ
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