07/04/26 10:53:48 0
★記者の目:石原・都知事の阪神大震災発言=小園長治(豊岡支局)
・石原都知事が阪神大震災について、「首長の判断が遅くて2000人が死んだ」と述べた。
神戸・ポートアイランドの自宅で震度7の直撃を受けたあの時のように心が震えた。当時
神戸支局員で、その後もずっと震災にこだわってきた私だが、初めて聞く数字だった。
石原知事は同じ会見で、「(選挙中)陰湿に根拠のないバッシングをされた」と、「根拠」に
こだわり、不満をぶつけている。ならば、きっと、自分の発言には根拠があるのだろう。
ぜひ聞かせてほしい。知事には震災遺族や被災者に対し、説明責任がある。
阪神大震災による死者は、その後の関連死も含めて6434人。このうち当日に命を失った
人は約5200人とされる。83・7%が家屋の下敷きになった圧死や窒息死。ほとんどが、
ほぼ即死状態で、揺れてから15分以内に亡くなっていたと分析されている。
どういうわけで2000という数字が出てきたのだろう。
おそらく、石原知事は、当時の兵庫県知事、貝原俊民さん(73)の登庁時刻と自衛隊派遣
要請時刻を問題視し、「オレなら違うよ」とアピールしたかったのだと思う。これについて
貝原さんは「石原さんは、とんでもない見当違いをしています。あぜんとしました」と驚きを
隠さない。未曽有の地震で災害対策本部の責任者をした者として、自衛隊派遣要請の
早さと、犠牲者数の多さを安易に結びつけようとする考えに、違和感を覚えているようだ。
確かに、貝原さんが県庁に到着したのは午前8時20分ごろで、地震の発生から2時間
35分後だった。自著「大震災100日の記録 兵庫県知事の手記」(ぎょうせい)で、
「どうにかして早く登庁しておればとの悔いは今も残る」と率直に反省し、心情を吐露している。
しかし、当時、神戸は電話回線がズタズタになっており、貝原さんの官舎と県庁がつながった
のは、ようやく7時過ぎだった。(>>2-10につづく)
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