07/04/20 17:36:17 k26VZgYu0
「個人の自由(自己決定と才能に応じた道)」を保護するために
政府があるってのが、プロトリベラルの考え方。
その上での「能力差」が、伝統によらず評価されるのは正しい。
しかし、行き過ぎた自由とは、「自由を阻害する自由」が発生するわけだ。
実際には、そこに到達していることに気付かず、
「格差はあって当然である!」という理屈でネオリベを吸収しちゃってる。
ここが問題なんだよな。
>>783
>別に出せないなら出さなくていいって言ってるジャン。
出さないってことは、義務教育において「文盲レベル」の子供を
大量生産することになるぞ?
そんな子供が大人になったって、自己決定できる人生なんて無理だぞ?
それは問題にしなければならない。
こちらは「個人の自由と努力」による解決するレベルの保障は
しろってことしか、言ってないわけよ。
教育環境において、貧困であっても能力で解決する環境だね。
富裕層の親の「戦略」なら自由にすればいいが、
投資で決まるのは、「個人の才能」じゃないからな。
そこの仕分けがあんた、全然出来てないよ。教育の理想なんて語れてない。