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【産経コラム】現代の社会と教育は子供から「死」を遠ざけた 「命の尊さ」を説くより、自殺も自己決定として認められなければならない - 暇つぶし2ch1:かしわ餅φ ★
07/04/07 11:38:59 0
現代の社会と教育は子供から「死」を遠ざけた。魚や昆虫は生活圏から姿を消し、お年寄りは病院で
最期を迎えるのが普通になった(私が昨年度中学3年生に聞き取りをしたところ、祖父母の死を
看取った経験のある生徒は100人で1人にすぎなかった)。

 むろん医療や福祉、生活の水準が向上したことは素直に喜ぶべきである。
しかし一方で死がバーチャルなものとしてとらえられ、ゲームのリセットボタンを押せば、安易に
復旧できるかのような触感で捉(とら)えられてしまっている今日の社会ほど、非教育的な風潮は
かつてなかったのではないか。最近の小学生には「人間は死んでも生き返ることがある」という
設問にイエスと答える子が2割もいるのである。

 死が持つ一回性・絶対性という人知をもってしても乗り越えられないハードルの重さを、
教師は多くの機会をとらえて教えこむ必要がありはしないか。

 自殺のあった学校の校長は、きまって全校集会で涙ながらに「命の尊さ」を説く。
しかし、誤解を恐れず言わせてもらえば、そんなことを言っているからいつまでも自殺の連鎖は
とぎれないのである。いのちが至上にして自分だけの価値であるならば、わが命を自身の手で
散らすこともまた自己決定として認められなければならない。

 戦後教育の最大の欠陥のひとつは、生命の至上性であろう。無論戦争体験のトラウマが出発点
だっただけに、その主張は十分に説得力があったことは否めない。しかしよく考えてみれば、
「平和」にせよ「生命」にせよ、それは何かを達成するための基底部を構成するものであり、
それ自体が至高の価値を示すものではないはずである。底の抜けた茶碗(ちゃわん)は何の
意味ももたないがらくたであるが、では底さえあればいい茶碗なのかといえば、そうではなかろう。

【教室の窓から】失われゆく「死」の陰影(2)|愛媛|地方|Sankei WEB
URLリンク(www.sankei.co.jp)
【生物】 カマキリがバッタを食べる瞬間を子供に見せて、アブナイ道にはまったらと思いつつ、生物は他の生物を食ベないと生きていけない
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