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「第四編 武漢攻略前後」より
三 戦場軍、風紀今昔の感と私の覚悟
私は、従来書物によって日清戦争、北清事変、日露戦争当時における我軍将兵の軍、
風紀森厳で神兵であったことを知らされ、日露戦争の末期には自ら小隊長として樺太の戦線に加わり、
大尉のときには青島戦に従軍し、関東軍参謀副長および第二師団長として満州に出動したが、
至るところ戦場における軍、風紀は昔時と大差なく良好であったことを憶えている。
それなのにこのたび東京で、南京攻略戦では大暴行が行われたとの噂を聞き、
それら前科のある部隊を率いて武漢攻略に任ずるのであるから大に軍、風紀の維持に努力しなければならない
と覚悟し、差し当り「討蒋愛民」の訓示標語を掲げることにした、それはわれらの目的は
蒋介石の軍隊を倒滅することであって無辜の人民には仁愛を以て接すべしというに在った。
上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、
抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
註 後には荷物運搬のため俘虜を同行せしめる弊も生じた。
一、上海には相当多数の俘虜を収容しているがその待遇は不良である。
一、最近捕虜となったある敵将校は、われらは日本軍に捕らえられれば殺され、
退却すれば督戦者に殺されるから、ただ頑強に抵抗するだけであると云ったという。
(「岡村寧次大将資料」(上) P290~P291)